斬り捨てごめん?
MOTで学んでいたときの資料を見直していて、ふと思い出したことがあります。
それは、20年ほど前のことですが、ある会社で車好きの人と話をしていた際に、ちょっと議論になったことです。
何かというと、当時はいまより交通事故で亡くなる方がとても多かったので、どうしたら事故を減らせるか?というような内容でした。
私は、どちらかというと特に車好きという訳でも車に詳しいという訳でもなかったので、運転手が無茶な運転をしたりしないように機械制御したり(急発進ができないようにしたり、法定速度以上のスピードが出ないようにしたり、自動運転させる等)、アクセルとブレーキを間違えないような機構を開発すべき等々、基本的に人間の動作を信用しない立場で話していました。
しかし、相手は、「機械が暴走したらどうするのか?」、「運転でミスする事なんてまずありえない」、「アクセルとブレーキを間違える?そんなことは普通に乗っている人にはありえない。」、「そもそも、なぜそんな制御が必要か分からない」等々、全く議論がかみ合いませんでした(というより、なぜ機械によって制御する必要があるのか、その必要性が理解できず、「は?」という感じのようでした。)。
このようなことは結構、日常的に起こっているような気がします。
例えば、素人の、いろいろと疑問に思ったり、素朴に「なんでだろう?」「こうしたらいいのに」というようなことを見たり聞いたりした「プロ」が、「なに言ってんだ。そんなことできるわけがないし、必要もない。」と一刀両断に斬るような場面がそれです。
どのような道でも「プロ」は「素人」より数が少ないでしょう。
ということは、見方を変えれば、いわゆる素人の疑問や要望を初めから排除せずに真剣に考えてみると、ブレークスルーが起こる可能性が出てくることになるのではないでしょうか。
一見してプロができそうもないな、というようなことを実現できれば、それはやはり「よっしゃ!」というようなことになると思います。
日々何気なく「斬り捨て」ていることの中に、実は、何か大きな種があるかもしれません。
今知的財産事務所
スポンサーサイト